とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭

バカみたい

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 保育所のみんなが書くクレヨン画は、チューリップやひまわりとかなのに、ひとりいつも黄色いフリージアを描いていた。そんな子供だった、と母から聞かされている。
 どういうわけか、あたしは物心ついたときからフリージアが好きだったようだ。それは今も変わっていないけれど、その理由は現在もわからないまま。うまく説明できないけれど、濃くも薄くもないちょうどいい黄色具合と、甘いのに爽やかな香りが理由かもしれない。ただそれだけしか挙げられないし、長年惹かれ続けている理由としては心許ないけれど、好きなんてそんなものなのかもしれないと、今は思う。


 一生に一度の二度とない日。着慣れた制服の胸には、大好きな黄色いフリージアのコサージュが居心地悪そうにくっついている。
 あたしはイライラしていた。


 ──ったく、ホント子供なんだから。


 小学校のときほど感動しなかった卒業式が終わり、戻ってきた教室。男子は黒板側、女子は後ろのロッカー側に陣取る形。このクラスはいつだってこうだった。
 ロッカーに寄りかかりながら、ずっとあたしの頭の中にいた言葉が口をついてこぼれた。
 「ったく、ホント子供なんだから」
 それは誰にも聞こえないくらいの小さなつぶやきのはずだった。
 「ん? コッコ、なんか言ったぁ?」
 あたしの小さなつぶやきを傍受したのは「体はちっちゃくても地獄耳」という、ものすごくトリッキーなキャッチフレーズを持つナミだ。
 今日の朝からずっと鼻声をキープしているナミは、あたしの数多い友だちの中でも特別な存在。小中高とずっと同級生だったというあたしたちの母親曰く「あなたたちは生まれる前から友だち」なそうで、これについてはナミもあたしも納得している。
 ううん、なんでもない、とあたしが答えかけた時、ナミはすでに今日何度目かわからない写メ撮影の輪の中に消えていた。小学生みたいにちっちゃくて、地獄耳だけど誰にでも優しくて、いい意味で尻が軽いのが彼女のいいところだと思う。


 あたしは軽いため息をひとつして、またイライラの発信源へと視線を向けた。黒板にはピンクや黄色、水色など、教室にあるだけのチョークを総動員させて黒板いっぱいに書かれた「卒業おめでとう」と、私たちクラスメイト全員の名前、そして担任岡田の名前がある。
 あたし自身もおめでとうと言われる立場なのに、自分たちでおめでとうと書くのもなんか変だし、卒業どころか転勤もしないらしい岡田の名前が、ひときわ大きく真ん中にあるのがすごく変だと思う。まあ、岡田がこのクラスの担任を卒業する、とかそんなことなんだろうけど


 ホントのところ、普段のあたしはこんなことでイライラしたりはしない。その証拠に、卒業おめでとうの黒板は、私が言い出してクラスのみんなに書いてもらったのだし、岡田先生のことも全然キライじゃない、ってかホント、まあまあいい先生だったと思っている。担任が「アタリ」だったクラスってそれだけで円満だったりするもので、ウチの教室の雰囲気も決して悪くはなかった。ってかホント、いいクラスだったって思っている。だから今までだってイライラすることは数えるほどしかなかったと思う。
 いいクラスだと思っている理由はもうひとつある。それは、あたしが学級委員長だったってこと。三十二票中二十九票を集め、二学期に続いてこの最終学期の学級委員長を勤め上げた人望と美貌だってある。成績はたぶんクラスで上から十番目くらいだから、ガリ勉女ってワケじゃない。なのに学級委員長というところが、あたしの自慢。美貌だって自称だけじゃないと思っている。実際彼氏に困ることなんてなかったし。一年生の時はまだ恋愛とか興味がなかったけど、二年生あたりから一人で帰る日なんて、少ししかなかった。高校受験で忙しいとかそんなので、まあ三年生の時には別に男なんて必要じゃなかったし──。
 とにかく、今まで一瞬たりともキレキャラどころか、イライラキャラだったことなんて絶対にない。むしろクラスのムードメーカー? ちょっとウザがられてるかなーって感じたときはあったけど、それなりに明るく元気にやってきたつもり。


 じゃあなんでそんなあたしが、今日こんなにイライラしているか。それは、みんなで書いたおめでたい黒板の前でバカみたいにはしゃいでいる男子たちのせいだ。
 卒業式の日だっていうのに、はしゃぎすぎて制服にチョークが付いているし、そのせいであたしの名前は消えかかっているし。
 なにもこんな日まで、前の晩のコント番組の復習をしなくてもいいのにって思う。
 特にケイゴ。アンタは今日この卒業式が終わったら、っていうか、もうすぐ、今にでも北海道に行っちゃうんじゃなかったの?
 こう、なんか、みんなの前で言いたいこととかあるんじゃないの、てゆうか、言うべきでしょうよ、もー。
 しょうがないんだから、と世話を焼きかけてイライラしていると、急にケイゴがこっちを見るから、すっごいびっくりした。と思ったら「シャキーン」ってセルフ擬音付きでケータイ取り出して他の男子に見せつけてるし。こっちを見たと思ったのは、ただの予備動作だったのか。まったくバカみたい。いっちょ前にスマホだし。なんか、あーもー!


 そうそう、学校はケータイ持ち込み完全禁止。それでもクラスの半分以上は持っていたし、学校に持ってきて自慢したはいいけれど、あえなく没収されちゃって一日半べそな友だちを何度も見てきた。でもさすがに今日は先生も没収なんてするはずはない。
 ケイゴはずっと持っていなかったはずだから、きっと中学卒業のタイミングで買ってもらったのだろう。シャキーンとかしたくなる気持ちもわからないではない。なぜなら、そんなあたしも中学三年間ずっと親にねだってきたけれど「まだ早い」だの「受験頑張ったら買ってやる」だとか言われて、先週ようやく買ってもらったばかりだからだ。もちろん一番欲しかったスマホを選んだし、買ってもらった日は、一日中、本当に一日中触っていたくらい嬉しかった。今もポケットに入れたままだし、今日だけで写メもバカみたいに撮っている。ケータイひとつで、こんなにも世界は色づくものなのね! そんなステキな感動は、一週間経った今でも続いている。
 でも今日のあたしは、やっぱりイライラしている。


 今日のようにぐちゃぐちゃなクラスも、昨日までの学級委員長なあたしだったら、ちゃんと仕切れていた。間違いなく。きっと、効率良く写メを撮りあえる段取りを組むことだってできたと思う。けど、もう卒業証書もらっちゃったし、こんな場を仕切るほど空気読めないあたしじゃないし。とか一生分のイライラとため息を使い切りそうになっているところに岡田先生が入ってきた。
 「ケイゴ! いいケータイ持ってんなあ! でも学校はケータイ持ち込み禁止だったね。はい没収しまーす」
 そんなベタすぎるにも程がある岡田ギャグが珍しく笑いをとった。みんな今日は優しい気持ちだからだと気づいているかな、岡田先生。
 みんなが席に着く頃、廊下が少し賑やかになってきた。親たちへの説明会みたいなのが終わって、教室へとやってきたのだ。岡田先生は、親たちも中に入るように勧めてから話しだした。


 「はい、みなさん卒業式おつかれさまでした。無事卒業できてよかったですね」
たったこれだけでも少しの笑いが起きる。やっぱり今日はみんな優しい。あたしは相変わらずイライラしているけれど。
 「いろいろ話したいことはありますが、みんな知っているとおりケイゴ、あ、くんがー、お父さんお母さんすみません、普段呼び捨てなんですー」
 私は教室の後ろに立っている大人の中から、何度もお辞儀をしたり笑っている二人を見つけた。明るいパステルピンクのワンピースに、ゴールドのネックレス。ペンダントトップはダイヤっぽい。顔が地味系なのに、ちょっと化粧が濃いような気がするケイゴ母と、グレイのスーツが似合う背の高いケイゴ父。ケイゴ父はケイゴがそのままおじさんになったようで、ちょっとおかしかった。
 「ということで、ちょっとみんなより早く学校を出るケイゴくんに、一言あいさつしてもらいます。ほらケイゴ。前に出て」
 さすがは岡田先生。私のイライラもちょっと落ち着いたかも。
 急な指名(私に言わせれば、そのくらい予想しておけ!)をされたケイゴは、えー! と言いながら一度机に突っ伏したけど、岡田先生に急かされ仲がいい友だちに冷やかされたりもして、おもいっきり照れた顔をしながら私の右側をすり抜けて教壇へ向かった。
 「えっとー、三年間、んー……楽しかったー、うん、です。あはは」
 なにそれ。バっカじゃないの?
 「んと、あっちの高校へ行くことになったけどー」
 ケイゴの大きな体に「め」を隠されて「卒業お でとう」になっている黒板。青いチョークで太く書かれた「お」、ピンク色の「で」、その間には、黄色いフリージアが全っ然似合わないケイゴ。そして、クラスみんなの名前がケイゴを囲んでいる。
 あたしの名前は消えかかっているけれど。


 「たぶん、正月とか、お盆とかはじいちゃん家に帰ってくると思うんでー」
 なんだろう。一旦落ち着いたはずのイライラが、また顔を出してきた。なんだろう。なんか焦る感じ。
 「返してもらってないマンガがあるけど、返さなくていいからねー、ヨッチー」
 笑い声が響く教室。あたしはただケイゴを見ていた。ちょっとだけ鼻が赤くなっているのもよく見える。一瞬ケイゴもあたしのほうを見た。
 前にもあったな。体育祭が終わって優勝旗を教室に運び込んだのは、応援団長兼リレーアンカーのケイゴだった。応援団長としてみんなの前で話をした時、やっぱり鼻がちょっぴり赤かったし、あの時もあたしのほうを見たのだった。懐かしいな。
 思えばケイゴはいつだってクラスの真ん中にいた。今日もやっぱり真ん中にいて鼻を赤くしている。クラス全員の名前に囲まれちゃってさ。


 フリージアが全然似合わないってのは、今日初めて知った。ま、当たり前だけど。
 他にもまだまだ知らないままのこと、いっぱいあるんだろうな。当たり前だけどさ。


 いつの間にかケイゴのスピーチは終わっていて、教室は拍手で湧いていた。
 ケイゴが自分の席へ戻るとき、あたしの右を通り過ぎるその瞬間にあたしを見ていたのは、きっと気のせいだろう。
 席に戻ったケイゴは、どうやらそのまま両親と行くようで、自分のだった机の空っぽ具合を確かめ、卒業証書の筒と卒業アルバムを抱えた。教室の後ろまで来た岡田先生はケイゴ父となんか話している。
 ケイゴが「じゃね、みんな。あはは」とか言って友だちらと握手していると、ヨッチー提案でケイゴを胴上げすることになった。机や椅子を引きずる騒音とともに教室の真ん中に即席の胴上げ会場が作られた。


 胴上げをするのは男子ばかりだと思っていたのに、女子もわーっと寄っていく。みんな笑顔だ。
 「ほらぁ! コッコもー!」
 ナミに手を引かれ、あたしもその集団に加わった。結局クラス全員での胴上げとなった。たぶん七回くらいは上がったんだと思う。教室の真ん中、クラスのみんなに囲まれて。
 四回目か五回目で、ケイゴの大きな体が天井近くまで上がった時には、みんな声を上げて笑った。ケイゴが「ひあぁぁ」とか裏返った変な声を出すから笑った。あたしも笑った。ケイゴには触れられなかったけど。
 胴上げから解放され、おっかねぇよ! と、鼻だけではなく、まぶたまで赤くしながら笑ったケイゴは、同じように鼻を赤くしたケイゴ父と、化粧の濃いケイゴ母と一緒に行ってしまった。


 校庭を真っすぐに突っ切ってゆく三人に手を振り続ける私たち。
 何度も校舎の二階を振り返り、おじぎをしたり手を振り返したりする三人。


 なんのリアクションもしないタクシーが行ってしまったあと見上げた空は、バカみたいに青かった。
 しかも二十度はありそうなバカ陽気だし。
 なんか、バカばっかりって感じよねー、なんて、あたしらしくもなく、ひとりしみじみしちゃってるし。
 ま、今日はそういう日だってことで、許します! あたし!


 気がつけば、あのイライラはしぼんでどっかに消えてしまっていた。


            *


 なんかさ、なんていうかさ、こう、なにかを期待してたってことは全っ然ないんだけど、正直、全くなんにもないとは思っていなかった、それは認める。だって「美人学級委員長vs優しげな応援団長」なんて、言っちゃえば人気者頂上決戦よ? めったにない夢の好カードじゃん! なのにケイゴのやつ、なーんもナシで行っちゃうんだもん。敵前逃亡にも程があるってものよ。やっぱ、同い年の男子なんて子供なんだよ、うん、そう、子供! でも、あのサヨナラはないよなあ。教室中みんながいる中じゃ、さ。あーあー。
 「ねぇ、さっきからなにブツブツ言ってんのよぅ?」
 結局帰る時間まで鼻声を貫き通したナミが、笑ってるんだか泣いてるんだかわからない顔で聞いてきた。
 「んー。やっぱあたし、ケイゴにさー」
 言いかけた時、突然ナミが腕をまっすぐに伸ばして、下手すぎるニワトリのマネをした。
 「コッコー!」
 それはにわとりのマネじゃなかった。
 ナミが指差すその先には下駄箱があった。もう少しちゃんと言えば、あたしの下駄箱を指差しながら、あたしのあだ名を呼んだのだった。
 靴の上にあったのはコサージュ。大好きな黄色いフリージアのコサージュだ。もちろんあたし自身のではない。そして、コサージュの下には二つ折りの紙。
 突然あたしの食道あたりで、どうやったら出せるのかわかんない聞いたこともないような音が鳴った。顔がくっつくほどそばにいる、トリッキーなキャッチフレーズを持つ親友がニヤっと笑った気配が、確かにした。


 きゃあきゃあ言いながら昇降口を飛び出したあたしたち。
 「一割は読む権利があるー」と、おサイフを拾ったときに使いそうなセリフを叫んでいる第一発見者と校庭のすみっこにある桜の木を目指して走った。


 もう、すぐに読みたかった。
 なにか確信のようなものがあった。そのなんだかわからない確信の正体を確かめたかった。
 でも、それ以上に、なんだか全っ然わかんないけど、今はとりあえず走りたかった。
 だからとりあえずバカみたいに走った。


 桜の木に背中をあずけた。
 上下する制服の胸元から漂う、大好きなフリージアふたつぶんの甘い香りが、早い呼吸につられて、あたしの中に入ってきた。
 見あげれば枝の間を埋めるバカみたいに青い空。
 きっとあたしたちは今、バカみたいな顔をしているに違いない。
 こんなバカ陽気でも全っ然咲く気配を見せないバカみたいな桜の木も降参するほど、見事な、堂々としたバカみたいな顔をしているに違いない。


ニソップ物語 1
「バカみたい」

工藤歩 著 

2012年4月13日

作成者: にそ丸

■東京から一番時間距離のあるまち、岩手県宮古市のとある庭から見える田舎の風景を。

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