とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭


コメントする

幸福論

ある人が会社にやってきた。昔から知っている五十路の男だ。
男はよく冷えたミニッツメイド一本をぼくにくれた。
その後の会話が興味深いものだったので、その全てをみなさんに披露しようと思う。

男「ごぶさたしておりました。あれ?痩せたんじゃありませんか?」

私「あー、痩せたかもしれませんね」

男「ネス湖にはやっぱりいたそうですよ。ネッシーね。あとは3メートルくらいの亀も」

私「3メートルって、もう恐竜ですね」

男「湖底にはUFOの基地がありますからね。そういえばこないだもUFOにお会いしましたよ、150メートルくらいの。今は誰が乗っているかもわかっているんですよ。先日も、」

私「それにしても今日もまた暑いですね」

男「はい、暑いですね。ということで今日はこのくらいにしておきます。それではさようなら」

私は男が置いていったミニッツメイドを冷蔵庫にしまい自販機からミニッツメイドを買ってきた。

言い忘れていたがこの男、某幸せな団体の者である。

木陰のベンチっていいですね。


コメントする

くしゃくしゃ

あの日から一年以上経っても日々泣いてた。飽きもしないで。

悲しくて泣くんじゃないんだよなぁ。
あの頃は自分ん中がなんだかわからないものでいっぱいになりがちで、
そのなんだかわからないものを定期的に出しちゃわないと苦しくなんの。
それを外に出す作業が泣くということだったんだと思う。
だからわざと泣くようにしてた。もともと涙もろいから難しくはなかったよ。

本や映画もお世話になったけど、必ずしも期待通りの仕事をしてくれなかったり、そもそもそれらは時間がかかるものなので、今出したい!って時には不向きだった。
良かったのはね、音楽。「泣ける曲」なんてベタに検索すんの。そんですぐ聴くんじゃなくて、まずは歌詞を調べて悲しい内容だったら却下。悲しくなりたいわけじゃないからね。いかにもお涙頂戴ソングも基本的にはダメ。「さあ泣け!」と言われてるようでしらける。そのあたりの線引はビシシッとオレ次第のその時次第だから、みなさんは知らんがなでおk。
ざっくり云えば希望を感じる曲か。希望ってのが未だにはっきりわからないけど、そこはニュアンスで。

だけどね、泣くってのはカロリーを使うもので、結構疲れるのよ。
あー溜まってきたなーって感じて検索を始めて、ちょうどいい曲になかなか出会えなくて、ようやく探し当てて聴こうかなーってところでジャマが入ったりして……。
でようやく見つけて泣いてスッキリはするけどかなり疲れて。
とにかく完了するまでっつったら、まぁめんどくさい。ヘトヘトになる。でも出さないともっとめんどうなことになるからサボるわけにもいかないし。

そんな中で出会ったのが加藤愛-かとうめぐみ-さんの楽曲だった。
自分の気持ちにシンクロする曲がたくさんあって、ムダに検索をすることもなくなった。動画サイトに行って「加藤愛」の動画へ行き、どれかをクリックすれば、はい完了、というお手軽感(加藤さんに失礼な表現)。

その中でもとりわけ同調したのは「くしゃくしゃ」という曲だった。
何度も聴いて何度も泣いた。
そうしているうちに「なんだかわからないもの」が自分の中にたまることが少なくなり、やがてはそれを外に出す作業をすることもなくなった。
一言で云えば、この曲に救われた、のだと思う。

去る9月8日、友人が加藤さんを宮古に呼んでライブを開催した。無論、良かった。
ステージ後の打ち上げで、ライブ本編では演らなかった「くしゃくしゃ」を歌ってくれた。
数カ月ぶりに歌で泣いた。
そのあと笑った。
歌の歌詞と同じだった。

にそ丸「おれね、めぐみさんにありがとう以上の言葉を言いたいけど、なんて言えばいいかわかんないや」
めぐみ「ありがとう以上は『ありがとう』ですよ。こちらこそ『ありがとう』です」


2件のコメント

七年の間繰り返し思っていたのは、両親から受け継いだ記憶。
空、樹、土、雨、鳥。一度も見たことはないけれど、全部しっている。

眠りから覚め、ぼくは地上を目指し上へと掘り進んだ。やがて記憶にはない硬い物に突き当たったので、空気の匂いがわずかに強い西へと方向を変えた。先に行った兄弟達が掘った道に出ると、その匂いがぐんと強くなった。

記憶にない硬い物の隙間に手をかけて、よいしょと地上に這い出た。記憶にある夜明け前の明るさがあった。
辺りを見渡すと、硬い物から生えた草がいくつもあった。兄弟達が着替えた跡もある。ぼくもそこで着替えを済ませよう。そう思い草へ向かったところで鳥に咥えられた。

躰が壊れてゆくバキバキという音を聞きながら、遠くなる地面を見ていた。よくしっている見慣れた光景だった。
兄弟たちの声が遠くに聞こえる。ぼくが今日こうして鳥に捕らえられたことで助かった兄弟たちの声だ。
地面がさらに遠くなり、空が近くなってきた。
ひとつ、またひとつと増えてゆく兄弟たちの声が小さくなる。地面も空も見えなくなってきた。
ぼくは、ぼくの役目を果たした。
うれしくて

ニソップ物語 10
「蝉」


コメントする

隧道。

かつては大変だった道を、安全に、早く、快適なものにしてくれるトンネル。
なのに比喩で使われる場合は決していいように言われないトンネル。
「トンネルに入ったような」「いつかは抜け出せる」など悪い状態の引き合いに出されるトンネル。
野球において一番恥ずかしいエラーとされ、不振が続くとスランプのトンネルなどとも言われるトンネル。
暗いだの怖いだの臭いだの出るだの言われるトンネル。
トンネルよ、嗚呼トンネルよ。
「人生には上り坂もあれば下り坂もある」だの「真っ直ぐで平坦な道ばかりではなく、時に曲がりくねった道もありー」と表現されるその道を、ストンと楽にしてやったのにねトンネル。

よし決めた。
ぼくは今日からトンネルを良い喩えとして使ってゆこう。
まっすぐな人には「あなたはトンネルのような人だ」と褒め、
性格は曲がっていても話が早い人には「あなたの話はトンネルのようですね」とそやし、
人生クネクネ道にいる人を見つけたら「いつか必ずトンネルが現れますよ」と励まし、
めでたく親となった人には「この子の人生がトンネルであるように」と祈ろう。

願わくはこれを読んだすべての人の前にトンネルがあらんことを。

バカとはなんだ!バカとは!!


コメントする

もやもやの

たまに撮りたくなるのがこんな写真。
「撮る」というより「作る」に近いか。

過去にはこんなのも。
http://nisomaru.blogspot.jp/2012/07/blog-post_21.html
絵画でいうなら、カンバスにペンキ缶ごとぶつけたり、筆を振り回して描く感じだろうか。
でもそんなアーティスティックな作品や抽象画は、きちんとした基礎があって、その先で見つける技術や表現なのだろう。

いずれは偶然に頼るのではなく意図して撮れるように、今は基礎をきちんと踏まえてゆかなければなどと思うのだが、やっぱり偶然の産物ってのはおもしろかったりもする。

題「下手の考え休むに似たり」