とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭

星の人。

2件のコメント

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若い女の胸像(1973年)舟越保武

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R嬢(1970年)舟越保武

ふたつとも40年ほど前の作品だけど、昭和よりも今の時代のほうが合ってるんじゃなかろうか的な顔。上唇の形がそう感じさせているんだと思う。

さて、彫刻を写真に撮って思ったことがある。でもそれをうまく説明できる気がしない。でも書いてみよう。

彫刻を写真に撮るということは、立体物を平面にしちゃうということなのだが、これって……の話。

いや、そんなのは人物ポートレートも風景写真も一緒だろうというのはわかっております。
しかしですね、彫刻などの立体美術品というのは、人間や自然と違って、人が作った作品でり、ある意味見せるために生まれたというか、見られることが前提の造形物といえると思うのです。
「見せるつもりなどない。思いを形にしただけだ」とか仰る作者もいそうですが、今日は置いておきます。

で、見られることが前提の人の手による立体造形物は、立体であることが重要なはずなんです、きっと。
「私は絵を描くのは不得手で、彫刻のほうが思い通りにできるので彫刻なのだが、絵が描けるのであれば絵画でも構わんぞ」そう仰る作者もいるかもしれませんが、今は黙っていてもらいましょう。

彫刻は平面ではなくて立体なのですから、作者にとって立体は必然だったわけです。そして作者自身も完成した作品をいろんな角度から眺めたはずですし、もしかしたら好きな角度というのもあるかもしれません。
それを写真という平面に収めるというのは、果たしてどうなんだろうか。
三次元を二次元にしてしまうということも低次元化させたような感じがしてちょっと引っかかったりもしましたが、じゃあ二次元の絵画は彫刻と比べて低次元なのかと問われれば、もちろんそんなことは全く思っておらず、どちらにも高低を感じることなどはありません。

無限の角度から観察することが出来る彫刻を、ひとつの視点からの見え方に限定してしまうってのは、なんか模写とかオマージュとは違う危うさがあるように思ったと、まぁそんな感じのことなんです。その程度です。戯言です。

最後にもう一つだけ。
「10年早かった」。
思想や音楽や芸術において、その次代には理解され難かったものが、10年経って高い評価を受けた時などに言われる言葉。
これは、10年前に光った星の光を、10年後の今見ているということなそうだ。

船越さんの彫刻の上唇を見て思い出した言葉でした。

作成者: にそ丸

■東京から一番時間距離のあるまち、岩手県宮古市のとある庭から見える田舎の風景を。

星の人。」への2件のフィードバック

  1. 彫刻家が定義した美を、写真家が再定義してしまっている問題があるのを感じますね。
    記録に残す以上、必ずどこかの角度から撮影しなければならないけど、
    「ちょっと斜めからがいい感じかも」なんていう事に既に撮影者のバイアスが入ってしまい、
    作者以外の美意識が混ざった状態で、図録などに作品として定着させてしまう怖さがあるように思います。
    確かに平面同士の絵画ならこの問題は生じないですね。

    • 「作者以外の美意識」それだね!
      感情を排除したカタログであれば問題はない。なんなら三面図+斜め一点の事務的4枚構成が分かりやすい。
      そこにきて、第三者が自分の美意識でもって写真化するのは、言ってしまえば作品の二次使用。
      一流の料理人が完成させた料理にマヨネーズかけたらダメだろうし、リストのピアノソナタに歌詞を付けたって褒められることはないだろう。
      そう考えると、絵画ってのは懐が深いというか、寛容だよなぁと、そっちに関心が向いたりもするのであった。
      あーでも絵画であっても、三次元的要素もある油絵はもとより、なんにしても「生」で鑑賞するのは写真と違うけどね。

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