高校生あたりから自覚していたことなんだけど、ぼくは自分の年齢をはっきりと覚えられない人間なんです。
今41か42歳だろうとは思うけど、はっきりとどっち!と言い切るまでの自信はない。
でも40とは違うし、43でもないという感じはある。感じはあるってだけで自信満々ではないけれど。
生年月日はというと、これは元号も西暦もはっきりわかっていて、あやふやになるなんてことはない。
でも自分以外の人の誕生日は、たとえ家族であろうとほぼ100%覚えられない。だから祝うべき人の誕生日はケータイのスケジュールに入れてある。ちなみに自分以外の生年月日で唯一覚えているのは母親のだ。
これってきっとなんかが欠落してるとか、脳障害の一種とかなんだろうか。こんなピンポイントの欠け方があるかどうかなんて分からない(まあ無いだろう)けど、あるとしたらどっか可笑しくてなんか好きだ。
さてこの症状があるとどういうことがおこるか。
店頭でなにかの申込書を記入する時、生年月日はスラスラと書けるのに、年齢欄でペンが止まるということがおこる。
なんの申し込みか忘れたけど、そんな私を見て相手がえらく怪しみ、本当にご本人様ですかと訊ねられた上に、干支を言わせられたことがある。ちなみに、干支や星座に不安はない。
以来年齢記入欄はそのときの勢いのまま迷わず書くことにしている。自分と同じ生まれ年でない限り、41歳か42歳かなんて相手にわかるはずもないのだ。まして生年月日を書いておるではないか。
この方法で、すみません違っていたのでもう一度……などということになったのは一度くらいあったけど、まぁなかったな。結構いいかげんなもんだね。
……ということは、ぼくの頭のテキトーさは、世の中の程度とさして変わらないってこと?
なんだよー。なんだか安心しちゃったなぁ。
……
なにこれ。
これ着地点?
書き出しん時に思ってたのと違いすぎてびっくりしちゃった。
あれ?今年って何年だったけ?2012?13?的なのの妹分みたいなもんだと思って可愛がってくださいね。
02/21/2013 10:20
同じ。同じ。
書類上、「いつ生まれたか」は必須事項なので覚えて入る。
でも、あれから何年なったのかなんて、ある意味どうでもよいと思う自分がいる。
どれだけ生きて来たか、ではなく、何をどれだけやってこられたか、だと思う。
そして、ふと、「何歳?」と振り返ったときに、「ああ、これだけやってこれたのはみんなのおかげなんだな」と、感謝する。
02/21/2013 17:34
ああ素敵です。
年齢を思う時、年齢と一緒に感謝を思えたなら、人はもっと人らしくなれる。そんなふうに感じました。
指針にします。ありがとうございました。