パラドックス 04/01/2013 by にそ丸 6件のコメント 「年度」が好きじゃないにそ丸です。おはようございました。 さぁ、今日から新年度ですね。 ギョーカイ()を見渡せば番組改編。 ということで、このとねりの庭もフレッシュな気持ちでお送り致しません。ええ、なんも変えません。 年度は嫌いですが、新年度の目標を立てました。 「絶対にウソをつかない」 絶対に守ってみせます。 清々しいほど定番。 Share this:PinterestFacebookTwitterいいね:いいね 読み込み中... 作成者: にそ丸 ■東京から一番時間距離のあるまち、岩手県宮古市のとある庭から見える田舎の風景を。
04/01/2013 16:42
浄土ヶ浜ですか?綺麗な所ですね。
04/01/2013 22:37
ご明察!
三陸随一の景勝地、陸中海岸国立公園浄土ヶ浜です。
こんな風情なのに、夏は海水浴ができちゃうんですよー。
04/02/2013 12:06
海水浴もできるんですか、凄い贅沢な景色ですね。
私も行って見たいです。
04/02/2013 15:08
移動距離や交通の不便さもあるので、ことさら贅沢といえるかもしれません。
景観保全のため、4/1~10/31までは浄土ヶ浜へ自動車の進入が規制されているんです。
そのためシーズン中は駐車場から10分も歩かなければならないため、地元の人はもっと手軽な他の海に行っちゃいます。でもそれらの海と比べたって、浄土ヶ浜の綺麗さは別格です。
機会があればぜひゼヒ!
04/03/2013 23:41
人を傷つけないウソ、人の為になるウソというのを考えてみた。 2ヶ月ほど前のことだ。
実はその2年前に、とある人の度重なるウソでかなりショックを受けたからだ。
そして、その人に人畜無害なシナリオ通りのウソをついてみた。
………結果、全く面白くなかった。
もちろん、相手はこれっぽっちも傷つくことなく、さほどインパクトもなく、終わった。
ウソとしての毒気みたいなものがなかったからだ。 もはやこれはウソでありながらウソではないと思った。 失敗だった。
ウソの本質って、相手を少なからず傷つける事なのだろうか?
あるいは傷つける事はなくとも、ウソをつく人間にとってある種の後ろめたさを伴わないとウソにはなり得ないのだろうか。
優しさとしてのウソも存在するという事は知っている。 相手を思いやってつくウソである。
でも、それはめったにウソをつけるシチュエーションがそうそうあるものでもないし、もしかしたら単にウソをつく人間の自己満足でしかないかもしれない。
そんな事を考えながら、しれっと軽くウソをつくのが一番かな? と思う今日このごろである(笑)
04/06/2013 15:41
考えさせられました。といってもほとんど同意のうえでですが。
化学調味料の入らないカップラーメン、真っ白なキャンディ、真っ直ぐで上下しないジェットコースター……。毒気のないウソってそんな感じ。
誰も傷つけず後ろめたさもないウソが果たしてウソと言えるのか。それはウソではなくジョークになってしまうのではないかということに思い至ったのでした。
でも尺度が人それぞれなんですよねー。
ということで私もしれっと軽くウソをついていこーっと。