今日のぶらり旅は山田町の大浦。
以前取材でおじゃましたとき、まちの佇まいに一目惚れしちゃって、今度はカメラを持って来たいなぁと思っていたのでした。
美しい大浦港を見下ろす坂の町に、800人ほどの人が暮らしています。
ここも例外なくたくさんの家屋が流され、尊い命が犠牲になりました。
坂のおかげで助かった家も多い。不便に身を助けられるってのは何度か聞いた話です。
不便もひっくるめて古いものを愛せる人達が共存していけるまちの価値ってもんを思う。
「不便」と何度も言ってしまったけど、そんなのはそもそもここに住む人達は感じていないのかも。うんそうだな。大きなお世話でした。すみません。
と同時に、ここを訪れている間にぼくが感じた「時がゆっくりと過ぎてゆく」感なんてのもないんだろね。
そこであたりまえに過ごす日常と、それをなにとも比較しないということが、その土地で活きるということだと思うんだ。
朽ちかけたものを無理に壊さなくていいということ。それはすなわち、そこに暮らす人と土地の持つ余裕なのではないだろうかね。
今ぼくが住んでいるまちも立派な田舎です。でも生意気にもそれなりに忙しく、そうそうゆっくりとした時間を持つことはなかなかできないのです。
この日も制約のある時間の中で散歩をしたんだけど、あまりに気持ちよすぎてあっという間に時間がすぎてゆくんだ。ゆったりとした時間の流れを感じたのになあ。
幸せとか価値観とか、そんなありきたりな言葉が脳みそに浮かんだよ。
意識すらしないほど自然に、いつだって周りを満たしているんだよね、自分の大切なものってのはさ。
当たり前すぎて刺激はないんだけど、ちゃんと気づいてあげなきゃって思った。でないと、なんかさ、バチが当たるとか、憂き目を見るというか、そういう天に唾する的な身から出た錆というか、自分のせいで!って日が来る気がする。全然説明になってないけど。
ま、きっと、こうして頭で考えているうちはまだまだなんだろさ。
09/21/2013 00:45
当たり前が一番幸せなのです。
多くの人は当たり前が当たり前でなくなったとき、当たり前の価値を知ることになります。
当たり前が幸せだと気づいた時点で、少し大人になったということです。
09/21/2013 23:36
ミト子さすがだねミト子。
親父が旅行から帰ってきて開口一番「あー我が家が一番」っていう昭和の風景を思い出したよ。
旅行は旅行で素敵ではありますが、さらに我が家の価値を再確認する(当たり前を慈しむ)ことなのかもしれないなぁ。
09/21/2013 06:06
私が住んでいるのは電車一本で街中へ行ける(と言っても名古屋ですが)まあまあ便利な所ですが、生まれは立派な山育ち。
田舎を離れて思うのは、自然に囲まれていた安心感。
自然は厳しいことも多いのですが、今にして思えば自然の中にいることは安らぎを与えてもらっていたんだなと田舎を離れなければ実感できなかった。
もうその田舎の実家はなくなってしまったので本当に淋しいです。
ぶらり旅、ゆっくりお楽しみください♪
09/22/2013 00:05
蚊やらカメムシやらカマドウマやら湧くし、雨降ったら道路ぐちゃぐちゃだし、店は遠いしもー。
そんなのはたんなる田舎の当たり前なんだよねー。たしかに不便ではあるけれど、それを補って余りある恩恵があるし。
田舎よきかな!
09/21/2013 17:17
あっという間の、ゆったり時間堪能できてよかったです。
傷跡にふれることは痛みをともなうけれど、
そこに生き続ける人たちのいのちや生活の力強さとか豊かさとか、与えられるものもたくさんですね♪
うみはやっぱり、どこまでも大きい存在ですね。
後編も楽しみにしてまーす!(*^^*)
09/22/2013 00:10
衣食が足りている現代、礼節はどうだろう。
足るを知るという言葉を体現して、礼節に富む田舎で暮らす人々を見るにつけ、やはり人は自然の中で暮らすべきなのだという思いが強くなったのでした。
09/21/2013 22:58
いいですね旅行
09/22/2013 00:13
いいですよねー、旅は。
小旅行と呼ぶにも恥ずかしいような短いぶらり旅でしたが、新鮮な風景に出会うことが出来ました。
ちょっとクセになっちゃうなぁ。
09/23/2013 09:54
こんなひっそりとした日本の風景、久しぶりに見ます。なんでもない風景を見ながら、にそ丸さんの文章を読みながらら、しんみりとしてしまいました。ぶらりとひとりで歩いてみたいです。
こういうシリーズ、楽しみにしています♪
09/24/2013 09:27
ありがとうございます。すんごく励みになります。
たぶんですけど、残そうなんてすら思ってないひっそり風景なんだと思います。もちろん人工物なんだけど、自然の姿といいますかあるがままといいますか。それが持つ魅力なのかもしれませんねぇ。