とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭

渇きを覚えることの正当性。

6件のコメント

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この渇きを癒やす~
たまに目にする言葉ではあるけれど、そもそも渇きなんてものが永遠に潤うことなどあるわけはないのであって、癒やされるのは一時でしか無くて。
しかしだからといってその乾きを放っておくことはできなくて、可能であればという前置きはつくけれど、それを潤したくなるのはごく当たり前であり、言い換えれば生きるということは、乾きとそれの解消の繰り返しにすぎなくて。

以上、当たり前のこともめんどくさく書くとそれっぽく見えちゃうから騙されんなよってハナシ。

作成者: にそ丸

■東京から一番時間距離のあるまち、岩手県宮古市のとある庭から見える田舎の風景を。

渇きを覚えることの正当性。」への6件のフィードバック

  1. ええ~っと、今日は酔っ払いじゃないのかな?(爆)

    茨木のり子の「自分の感受性くらい」の一節にこうあります。

     ぱさぱさに乾いてゆく心を
     ひとのせいにはするな
     みずから水やりを怠っておいて

    乾きと潤いは自己管理しましょう。あっ、お酒もね♪(笑)

    • 茨木のり子さんの言葉、いいですね。ほんtのその通りだと思います。
      こんなふうにムダのない言葉で三行にできたならって憧れます。だらだらと長く言葉を流すのではなくてね。
      ちなみに、いい感じに酔ってたけど、酔っ払ってはなかったんだぜ~

  2. 脱水症状になる前に乾いてることに気づかないといけないですね〜。

    で、今回は酔っぱらってるわけではないんですよね?笑

    • そうだねぇ。たしかに脱水状態になってからじゃ遅いもんね、うんうん。
      酔っ払って……どうだったろ……自信なくなってきたなあ。

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