とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭


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肛門期回顧。

とあるブロガーさんの記事中に「ちんこのかいじゅうちんぷらー」という言葉を見つけ、とても素敵だと思った。
これで思い出したのだが、そういえばぼくの肛門期は長かった。というか正直なところまだ終わっておらず、絶賛継続中である。
花開くきっかけは忘れてしまったが、自分の中で確固たる位置づけとなったのは「8時だヨ!全員集合」だったと確信している。

本題へ入る前に、肛門期の開始時期について少々話しておきたい。
幼稚園での絵本読み聞かせに同行したことがある。
数冊用意された定番絵本に混じって「うんこ!」と「うんちっち」があった。私は読み手に「これ、子どもたちゲッラゲラでしょうね」と尋ねると「年中さんから上かな、ウケるのは」と返ってきた。
幼稚園児は皆うんこが好きだと思っていた私はこの答えを少し意外だと感じたのだった。
読み聞かせは全園児が集まったホールで行われた。いよいよ「うんこ!」が読まれると、ホールは爆笑につぐ爆笑。ゲラゲラにのたうちまわる園児多数であったのだが、小さい子らはというとキョトーンであった。
これにより、肛門期は4歳から始まるものと私は提案したいのだが、どうだろうか。

話を本題へ戻そう。
「8時だヨ!全員集合」が私の血肉であり骨なのだが、その中でもとりわけ重要なコントがあった。それは泥棒コントの一つ。
盗みを働くため事務所に侵入した泥棒が、満を持して大きな金庫を開けると、また金庫が入っている。その金庫を開けるとまた金庫。もう面白くてたまらない幼き私。
入れ子金庫に負けじと、泥棒がまた金庫を開けると、今度は立派なとぐろうんこが入っていて大ズッコケ。金庫からうんこ!キンコからウンコ!大喜びのボク。
泥棒がその大ウンコを舐めるように注意深く観察すると、底面になにかを発見。なんと大ウンコの中から一回り小振りな中ウンコが出てきて、さらにまた小さなウンコが出てくるではないか。キンコからウンコでウンコからウンコ!私の笑い声は「あっはっは~」ではなく、「あーーーーーーーー」である。身を捩りながらのあーーーーーーーーー!!
すでに腹筋も頬肉も体験したことがないほどに痛んでおり、ほぼ限界。
しかしいつの時代も悪の根源的親玉というのは最後に登場するもので、本当に恐ろしいのはここからだった。もうこれ以上ウンコは出てこないだろうという手のひらサイズの小さなウンコの中から、あろうことかチンコが出てきたではないか! これぞまさにお手本的ダメ押し。放っておいても暫くは動けないほどの深手を負った子供にこれでもかの追い打ちを容赦なく食らわす鬼畜の所業。
あーーーーーーーの笑い声は、やがて息も絶え絶え悲鳴混じりの阿鼻叫喚妖怪泣き童子。
そのくだりは終わっているのに、テレビから聞こえるドリフターズの声だけで死ぬ思いの男児にそ丸。目を閉じ体を丸め両手で耳を塞ぎ、全力で防御姿勢をとるのだが、その抵抗をあざ笑うかの如く耳の奥と瞼の裏で延々とリピート再生され続ける金庫うんこウンコちんこキンコうんこウンコちんこの無限地獄にのた打ち回ることしか許されない白鬼夜行生き地獄。この時、私の中の何かが絶命したことを悟った。

こうして死の淵からの生還を幼少期に済ませて以来、ぼくは変わってしまった。
肛門期真っ最中の友達がうんこだちんこだと単純に可笑しがっているのを見ても、その幼稚さがかわいらしく思えてしまい、遠巻きに鼻で笑っているのが常。なんといってもこちとら臨死体験を済ませてきた、脛に傷持つあばずれ男児なのだ。
やがて高学年となり、周囲が肛門期を卒業する頃となっても、ぼくだけは変わらなかった。
うんこちんこの語り部、無限うんこちんこ地獄からの稀有なる生還者、その生き証人として、ことあるごとにうんこちんこの奥深さを伝えるうんこちんこ伝道師として語り続けた。
そしてそれはおっさんになった現在でもなんら変わることはない。

うんこちんここそ我が人生。
NO UNKO,NO LIFE.
NO CHINKO,NO LIFE.
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