とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭


12件のコメント

実話レコード。

小さな田舎まちながら、4件もレコードショップがあったのは、ここで暮らす市民が、なかなかに文化的だった表れなのかもしれない。
そして、この4件も、ぼくが覚えている限りなので、本当はもっとあったのかもしれないし、レコード全盛期の時代はさらに数件多かったのかもしれない。

時は流れ、レンタルレコード店ができ、やがてTSUTAYAも現れた。
それを機に、だと思うが、まちのレコードショップは、一件また一件と店じまいをした。

最後までがんばっていたのは、楽器も扱う老舗で、店名も「おばら楽器店」といったが、皆一様に、ただ短く「おばら」と呼んでいた。
2004年、その「おばら」もついに閉店し、ぼくのまちからレコードショップが消滅した。
(細かく言えば、「おばら」の従業員が閉店と同時に独立し、演歌レコード・テープ専門店を始めていたり、他にも営業しているんだか知れないレコードと時計の店もあったりするが、ぼくのカウントには入っていないので、そこには触れない。)

「おばら」は経営者の苗字そのまんまで、小原兄弟が店を切り盛りしていた。
ほかに従業員はというと、兄とそう歳が変わらない、というよりも、いくつか年上に見える、小さな体躯のベテラン男性が1人いるだけ。
いつも店頭にいるのは兄のほうで、弟も店にはいるが、イベントのPA仕事(マイクやスピーカを設置し、ミキサー卓を操作する音響の仕事)などで外に出ることも多く、内情は知らないが、兄のほうが経営者のように、ぼくは思っていた。

その兄のほうが60歳くらいだったのだろうか、閉店の数年前に病気で亡くなってしまった。
腹が突き出ていて、顔は不健康に黒かったが、商売人らしい人付き合いのよさと笑顔があった。口を突き出したようにして、ぼそぼそと冗談まじりに商店街の不景気をグチる姿が思い出される。

兄の亡き後は、5歳ほど年下の弟が一人で店を切り盛りしていたのではないだろうか。
彼は、昔から、時折仕事を紹介してくれたり、取材ネタを寄こしたりもしてくれる優しさがあった。
二十年来の付き合いは、やがて、十歳以上年下のぼくを、ちゃん付けで呼び、ぼくは下の名前で呼ぶくらいの関係にさせた。
いつだって、古いデザインの銀縁めがねと、メーカーのノベルティらしいTシャツやジャンパーを着ていて洒落っ気はないし、一般的にはそんなに社交的とはいえない性格だとは思うが、ぼくは、この弟のほうが、兄よりもずっと親しく、少し職人気質なところもあって、好きなのだ。

彼は、兄が亡くなった数年後に、深刻な大病を患い、頭蓋骨を開く大掛かりな大手術を受けたことがある。
一時はミイラのようにやせ細り、顔は血の気が無く真っ白で、会っても視点が定まらないような状態だったのだが、現在はずいぶんと快復し、「おばら」がなくなってしまったその後も、今日に至るまで、PAの仕事を続けていて、このまちのイベントシーンには欠かすことのできない人物となっている。
そして、もとのようにとはいかないまでも、元気に赤提灯のかかる暖簾をくぐっているのだから、よくぞここまでと言っていいだろう。

あれはたしか、小原兄が亡くなった年だと記憶している。ぼくが二十代も後半にさしかかろうという頃のことだ。
ぼくの職場は、「おばら」と同じ商店街、同じ並びにあって、しかも数件しか離れていなかった。そのためか、小原兄弟の弟のほうは、ちょくちょくぼくの職場に遊びにくるものだった。
その日も、ぼくの職場に小原弟が油を売りに来たので、それをありがたく買わせてもらうという図式。
商店街の不景気だとか、いつもと変わらない、なんということのない雑談。かたや三十路が見えてきた男、かたや四十過ぎの中年で、である。
そこはさすがベテランの油売り人であるから、建設的な議論などあるはずもなく、ひたすらにくだらなく、ただただ平和な時間でしかなかった。

ぼくは、数日前ぼくに起きた小さな変化を話題にした。
「こないだね、うんこしたら、なーんか違和感があったんですよ」
商店街の中心部で、中年男ふたりがするにふさわしい話題だ。
「んで風呂入って、肛門をセルフ触診したら、ぽっこりと、ね、小指の先くらいのが」

小原弟は、こういう尾篭な話を、あっはっはっはーと、時に笑い涙を流しながら聞いてくれるのが素敵だ。
そしてこの日も、気持ちよく笑って聞いてくれていた。

「いやいや、指入れたんじゃなくてー、外側ですよー。そそ、入り口。エントランス」
バカだのなんだのいいながらも、屈託ない笑い顔と、むせながらの大きな笑い声がとてもいい。

「モノがモノっつーか、場所…立地条件がアレだから、病院に行きたくはないんスけど、やっぱイボぢっすかねぇ」
笑涙をぬぐいながら聞いてた彼が、やおらハッとした真顔になり、「ちょっと待ってて」と言い残し、ぼくの職場のエントランスから出て行った。

ほどなく戻ってきた彼は「あったあった」とうれしそうに、くたびれた紙の小箱をぼくに差し出した。

─*─

やがて、彼が満足そうに帰っていったあと、ぼくはその小箱の、ばかになってちゃんと閉まらない紙箱の蓋を開け、中身を机の上に出していた。
木目の机の上にある、薄い黄色のチューブ。
そこには、くたびれた紙箱と同じ商品名がかすれることなく印刷されていた。

ぼくは、これを手にするべきか、逡巡していた。
これは、チューブだ。そして中身は減っている。
使ったことがわかるのは、このチューブがアルミかなにかの薄い金属だからだ。
当然のことながら、このチューブの蓋も開け閉めしたのだ。
ことの後、絞ったこともあるだろうな。
一回の使用で、一絞りだろうか。
塗り足りなければ、もう一絞りするだろうか、その指で。
端っこがピッと上がった軟膏が、指の上に乗っているイラストが脳裏に浮かんだ。

小原弟が「これあげるよ」と持ってきたボラギノール軟膏。
思い切って、チューブの蓋を開け、その口を見るが、そこに疑問の答えは書いていなかった。

「アニキが使ってたんだ」
去り際に彼が残していった言葉を反芻しながら、これもひとつの形見分けか、とチューブの蓋を戻したが、紙の外箱は捨ててしまった。

その晩の風呂上り、ボラギノール兄軟膏の初塗りに踏み切った。
以来、今まで再発したことは一度も無い。

niso13_975