とねりの庭

下々ノ者ノ下ノ庭

影。

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「ザ・カゲスター」は生で見てましたが、「仮面の忍者赤影」はどんぴしゃ世代じゃありません。
火影、風影といえば「ナルト」であり、すんげぇ大好きですが、自分にとって「影」といえば「影の軍団」が一番に思い浮かぶ、そんな世代です。
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光がなければ影は生まれないけれど、「影、先にありき」は認めたくない。
なぜなら影が光を生み出すことはないだろうと思っているから。niso15_866
私は先の投票に行きましたが、自公には票を投じていません。
でも今特別委員会の暴挙に対して、ネット署名以外の行動はしていません。
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今日(もしくはそれ以前に)デモに参加するなど、私などよりも目に見える行動をした人々の中には、選挙当時も自公の公約を信じて支持したけど、今のこれは違う!と思い直した上で行動した方もいると思います(あるいは投票しなかった人)。
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選挙における「投票」なんて、いわば性善説ありき。あくまでも各政党が掲示したマニフェストや街頭演説を真に受けた上での判断でしかなくて、一票を投じた当選者のその後など、有権者にはどうにもできないところにあるのだという事実(汚さ)とかとっくにわかっていましたが、今回は本当に身に沁みて感じました。
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それを踏まえると、投票で意思を表すということは、あくまでもさわりや片鱗にすぎなくて、効果でいうなら「小」もしくは「こうかがなかった」でしかない。
その後の監視と、デモや投書などの行動のほうが、より大切です。が、それでも効果でいうなら「小」よりちょい上程度。健全な国政なら、効果は純粋に「小」なのかもしれませんが、端から独裁を決め込んだ出来レースにおいては、やはり「こうかがなかった」になってしまうのですね。
こんなのは民主主義とはいえません。「ラーメン」と看板を掲げた「葬儀屋」です。
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低い投票率でも席数で過半数を得られて、それでムリを通すことが仕事になるごく一部の人をのぞくと、残念感とカラ文句ばかり並べるだけ並べて前進できない人間が多いわけで、じゃあどうすればいいのよってな具合ですが、それぞれはそれぞれで考えなければならないのだと思います。
だれかがやるだろう。自分は関係ない。見て見ぬふり。なんかめんどい──キツい言い方をすれば、そういうことのツケが自分に回ってきただけです。しなきゃない尻拭いは、他人のケツじゃなくて、自分のケツです。「クソみてぇな世の中だ」と言ってる自分のケツがクソまみれだということに気づけよ、そして拭けよ、ということですね。
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それでも、今回は違憲でした~ヽ(=´▽`=)ノという審判が下されたらいいなあ、という夢は捨てずにいたりします。

作成者: にそ丸

■東京から一番時間距離のあるまち、岩手県宮古市のとある庭から見える田舎の風景を。

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